■ 新田さくら公園(東京都 足立区)【恐竜公園・博物館・恐竜展の訪問記】 「日本全国恐竜公園ガイド(東京都)」で紹介している「新田さくら公園」にいる恐竜に会いに行きました。そうしたら、なんと、絶滅の物語があったことを知る・・・。
■ 新田さくら公園とは
江戸時代、このあたりは野新田とよばれ桜草の花見でにぎわった行楽地。いまでは区内最大級約16,000平方メートルの芝生広場や大型の遊具が人気の公園!
ここにティラノサウルス型の恐竜ジャングルジム(中村製作所 ダイナソー ティラノサウルス)がいます。

新田(しんでん)さくら公園に到着! 恐竜はどこにいるのかな?

公園の入り口からは広場などが見えなくて、なんだか西洋風の庭園のような雰囲気。こんなところに恐竜いるのかな?

訪問したのは10月で特に花がきれいな時期ではなかったけれど、足立区のホームページによると「バラ花壇や夏期開催のじゃぶじゃぶ池なども、季節ごとにお楽しみいただけます。」とあり、確かにそんな雰囲気がしました!

大きな階段があるので、きっと公園の本体はこれを登った先にあるのかな? 階段の手すりの造作もなんかオシャレですよね。

階段の先は芝生の台地になっていた! オレンジ色の恐竜遊具がちらっと見えました。 あれだな!

オレンジ色のパイプで作られた恐竜型のジャングルジム。中村製作所 ダイナソー ティラノサウルスがありました!
恒例のぐるっと一周、記念撮影!






恐竜はこの市販の恐竜型遊具1台と聞いていたので、普通なら探検はこれで終了。
公園を見渡したら、何やら説明パネルがあるので、見に行ってみると・・・

公園に周辺の歴史の説明パネルがありました。
「 現在の新田地域は、かつて『野新田(やしんでん)』とも呼ばれていました。江戸時代には、鹿浜新田および鹿浜村・堀之内村・沼田村の一部で、明治22(1889)年に市制・町村制が施行されると江北村に編入され、旧村は大字となりました(例:江北村大字鹿浜新田)。昭和7(1931)年10月の足立区発足時には、鹿浜新田は新田上町・新田下町、鹿浜は南鹿浜町、堀之内は南堀之内町、沼田は沼田川端町となりました。その後、昭和35(1960)年4月になり、現在の新田1~3丁目という地名が生まれました。
(自然) 野新田は、江戸時代から「日本桜草」の自生地として有名でした。桜草の生育は萱(かや)の繁茂と深い関係にあります。この地域は隅田川(旧荒川)の沿岸にあったために萱が茂り、桜草の自生に条件が良かったといいます。江戸の人々に野新田の桜草が知られるようになったのは、飛鳥山(あすかやま)の桜や荒川堤(あらかわつつみ)の五色桜(ごしきさくら)など、近くにあった名所と一体となり行楽地帯を形成していたためといわれています。・・・・ 」
「新田(しんでん)」という地名は全国にあり、だいたいは江戸時代に農地を増やすために新たに開拓された土地に付けられる名前ですよね。ここの場所は特に「野新田(やしんでん)」と呼ばれ、桜草の名所だったんですね!
ならば、かわいいピンクの花が咲く桜草がここの名物なのかと思ったけれど、「新田さくら公園は、区内最大級を誇る約16,000平方メートルの芝生広場や大型の遊具が人気の公園です。バラ花壇や夏期開催のじゃぶじゃぶ池なども、季節ごとにお楽しみいただけます。」と・・・・。 新田さくら公園の自慢は桜草ではないんですね・・・・。

新田さくら公園のとなりには東京を流れる大きな隅田川(旧:荒川)が悠々と流れています。

今はきちんと護岸も整備されていますが、江戸時代などは広い河原で、河川氾濫などもあったでしょうから、きっとこの辺りは低湿地ですね。桜草は川添いの低湿地で葦が生えている湿原を好んで生える植物だそうで、江戸時代の荒川沿いには桜草の群生で有名な場所がいくつもあった、そのうちの一つがこの場所だったんですね。
■ でも・・・ 桜草はどこに行った??? ”桜草の花見”に秘密あり!
桜草の名所で、公園の名前にも”さくら”とあるのに、なぜ桜草がないのか気になって調べたら、秘密がわかりました。
 写真提供:写真AC さん
江戸時代のみんなにとって春の人気イベントは”桜の花見”のほかに”桜草の花見”というのがあったらしい!
当時の春の一大イベント「桜草の花見」とは、桜の花見が桜の木の下で宴会をするのに対し、桜草の花見は一面の桜草自生地の中に毛氈(もうせん)を敷いて宴会するだけでなく、桜草の花を摘むのがメイン。
江戸時代から野新田は桜草の自生地として有名で、荒川に生息する白魚と、ピンクの可憐な花が咲く桜草。この2つをあわせて縁起がよい紅白のお土産とするのが大流行、桜草を「根ごと」持ち帰るイベントだったらしい。
当時も根から掘り出すのは禁止されていたが、摘むこと自体は禁止されていなかったので、桜草の花見に来た心ない人たちがむしるむしる。桜草を売る商売も流行り、根っこごと掘り起こす潮干狩りの熊手のような農具を使って遊山客も商売人も堀る掘る!
結果、名所だった荒川流域の桜草自生地はどんどん減り、そこに河川改良による周辺土地の乾燥化、レンガなどを量産するための土の採取、開墾による土地の変化などで、昭和1桁で野新田の桜草はほぼ絶滅に至ったらしい。
NHKの朝のテレビ小説らんまんのモデルとなった植物学者の牧野富太郎博士も「桜草江戸の名所も滅びたり」と詠んだそうです。
参考リンク:「荒川流域の桜草の名所の多くは明治時代末から戦前にかけて消滅した。」(桜草絶滅の原因 作成者 佐藤良徳さん)
参考リンク:PDF 「文献から見たサクラソウの花見の実態と自生地絶滅の一要因」(さくらそう通信 平成16年3月20日 さいたま市教育委員会)
人間って恐いですね!
■ そんな事件を知ってか知らずか、絶滅した恐竜が住んでいる公園


桜草が自生地するすてきな名所だったのに、数年の間に人間の遊びのために桜草を絶滅させた歴史があったなんて、ビックリですね。
そんなゆかり地に絶滅した恐竜の遊具があるのはなにかのメッセージなのでしょうか?
桜草が人の手によって絶滅させられた歴史などほとんどの来園者は知らずに、のどかな川沿いの芝生の公園を楽しんでいるようです。
 新田さくら公園(東京都 足立区)【恐竜公園・博物館・恐竜展の訪問記】 公園の名前の由来”桜草”を絶滅させたのは花見客!? だから絶滅した恐竜がいるのか?
■ HP等:新田さくら公園 ■ 所在地:東京都足立区新田3-34-1 ■ 緯度経度:35.76819917731561, 139.7458114089062 ■ 交通:東京メトロ南北線・王子神谷駅から1.4km、北千住駅からバスあり ■ 恐竜像:中村製作所 ダイナソー ティラノサウルス ■ Googleマップ:開く ■ ストリートビュー:開く ■ 新田さくら公園まとめ:開く
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